甘糟りり子さんから『侍女の物語』へ

たまたま書評をネットかどこかで読み、書店に走りました。

https://youtu.be/tfLiO5SxTNE

男性に読んでほしいとおっしゃってますが、むしろ政治屋さんに読ませたいです。読んでほしいなんて甘い。強制的に読ませて感想レポート提出ですよ。軒並み「不可」がつくことでしょうね。

近未来の話も載っていますが、読んでいてふと、『侍女の物語』を思い出しました。

わたしが結婚する前年、出版された小説です。映画化もされています。

30年以上たち、頭にふと浮かんだタイトル、『侍女の物語』。

検索してみると、ネットでドラマ配信されているとか。
hulu登録してみようかな。『侍女の物語』、はまりそうなんて、見てもいないうちから思っています。

Ten years or more

いつもながら慌ただしく時間が過ぎ、あっという間に帰宅の途へ。

お天気がいまいち。台風のせいか、金曜はかなりの雨が降った。

田舎の一軒家はかなり冷える。風邪ひきはゴメンなので、シャツブラウスにセーター、親にあげたベストを重ね着する。

翌日は打って変わって少し気温が上がる。親にあげたブラウスにモヘアのセーター、薄手のコートを羽織り、同窓会に出かけた。少し暑い。

祖父の葬儀以来だから、10数年も口をきいていなかった相手。
最寄り駅で買い物中、仏花は何束買えばいいのかと実家に電話を入れた。
耳の悪い親の代わりに彼が出たので、少しびっくりする。

「あんまり遅いから心配した」らしい。
私鉄に乗り換えようとしたら、各駅電車しか来ず、のんびり座って行くことにしたせいだ。

到着すると出迎えてくれた。
若い頃と同じように会話が進む。10数年の時間が吹き飛んでしまう。

わだかまりのようなものは感じない。不思議なものだ。

早寝の親が床にはいると、近況を話し出した。
こちらが聞かずとも相手がしゃべり出す。

息子の受験だけでなく、もうひとつ理由があっての半年別居予定らしい。

「そんな理由ってあるのか?」「そんな話聞いたことないよ」なんて言わないわたしである。ただ、ひとつ訊きたいことがあったので・・・

「休職中って聞いてるけど」と前置きし、病名を訊いた。本人の口から聞きたかったからだ。

40代から患っているとか。息子が生まれて間もない頃からか。

数種類の薬を服用中。副作用なのか、食生活のせいなのか、相撲レスラー並みの体型である。気にしているようで、実家に来てからは近所を毎日のようにウォーキング。近く復職予定である。

何度目の復職なのか知らないが、合計するとかなりの期間休んでいるはず。解雇にならずに済んでいて、生活にも困っていない様子。(親はそれが心配だっただろう)

メンタルな病を患う。今ではさほど珍しいことではない。
近所のクリニックには頻繁にひとが出入りしている。世の中にはこれほど心の悩みをかかえるひとが多いのかと思う。

ネットで病名を検索してみた。あるきっかけで治る場合もあれば、彼のように長期にわたって悩むひとも多いと言う。

数日間の滞在中、その日常を見つめてみた。

早朝に目が覚めて朝食をとる。しばらくすると床に戻り、寝たり起きたりを繰り返す。夕方ごろに起きだし、夕食。再び床にはいる。(復職すれば生活リズムも一変するだろう)

食事は炭水化物が多い。野菜・肉・魚とバランスの良いメニューというわけにはいかないようだ。(親は料理が不得手なので、食事は彼が用意する)

息子の浪人生活がきっかけでスタートした別居生活。

とにかく来春、サクラ咲くようにと受験生の親でもないのに願うわたしである。

仏壇を買いに行くひと

「これから仏壇買いに行きます」

友人からメール来る。

別に報告?しなくてもよい内容だけど。

だれかに吐き出さずにいられないのかもしれない。

亡くなったひとをあまり好きじゃなかったんだろう。

気持ちはわかる。

だからそのまま受け止めよう。

ちなみにウチの場合、双方の実家には立派な仏壇がすでにある。
おまけに広い仏間も。

そちらの心配はしなくて良さそうだ。

日本人は仏壇にこだわる。
最近は樹木葬とか聞くようになったが、まだまだお墓にもこだわる。

仏壇があって、お墓があって。
さらにお墓参りにもこだわる。

「お墓のない人生は、はかない人生ですな」

お墓関連のCMのキャッチコピーだったような。
だけどこういうものにこだわるのは生きてる人間だ。

立派なお墓に立派な仏壇。
お墓参りも欠かさないわたしは立派。
だから成仏できる。自信満々である。

さて仏壇を買いに行った友人は・・・

また報告メールしてくるかな。

ドタキャン

レストランに〇月〇日〇時から〇人分の予約を入れていたにもかかわらず、直前になってキャンセル。

キャンセルしますのでと連絡すら入れない。そんなケースもあるらしい。

昨年、Samiさんの交流会があり、「どうしようかな」とぐずぐずしているうちに、定員いっぱいになってしまった。
また次回もあるさ~と思っていたら、なんと直前になってキャンセルしてきた人がいたそうな。

そりゃあ理由や事情があるんだろうけど。急に予期しない出来事が起こってとかね。

何となく申し込んだけど、なんだか気が向かないし。いいや、断っちゃおう。こういうひとはいなかったと信じたい。欠席理由をきちんと連絡されていただろうと信じたい。

でもね、こういうことがあると、主催者側は気にすると思ふ。

落ち度があったんじゃないかとか。

交流会には数回参加しているけれど、いつも細やかな心配りをされている方ですよ。

その昔、某メーリングリストで何度かオフ会の幹事をしたことがある。携帯はもちろんスマホもない。ただ日時と場所を指定するだけ。

でも、、、ドタキャンなんてするひとはいなかった。

ドタキャンするひとは、きっとされる側がどんな気持ちになるか考えもしないのだろう。

3月にもセミナー&プチ交流会をされるという。ドタキャン常習のひとは、その心癖を改めてから申し込みましょう。

つひに行く道

明日はTさんの葬儀が行われる。

事故と言うことしかわからないけれど、具体的なことを知るのが怖い。今はただ彼女の冥福を祈るだけだ。

40代の若さだった。向上心があるひとで、いろいろなセミナーに参加し自分磨き。でも野心満々というより、しっとりとした女らしさを感じさせるひと。

健康にも気を配っていた。今回のことがなければ、100まで元気だっただろうと思う。

なんとか気を取り直して・・・と家事や語学に身を入れようととするのだが。
ぼんやりと淀川長治さんのインタビュービデオを見る。淀川さんの軽妙な話術に引き込まれる。

つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを

伊勢物語のこの部分を引用しつつ、淀川さんは語る。

「ある映画でね、女の人が事切れる瞬間、それまでの人生がわずか数分でバババ~とフラッシュバックされるシーンがあってね」

「わたしはね、そのわずかの瞬間に、ああこれまでの人生であの瞬間がありがたかったなぁと思えるることがひとつでもあったら、なんて幸せな人生だっただろうと、こんな幸せな人生ないね」

この言葉にはっとさせられた。そしてもうひとつ。

「毎朝目を覚まして、からだを床の中で動かしてみる。ああ今日も生きてた、今日も生きてたと思う」

Tさんの悲報を受け、「人生ってなんだろう」「生きるってなんだろう」と落ち込んでいた心にすっと入ってきた。

いつかは行く道。その道を行く瞬間がいつなのかわからないけれど、淀川さんのこの言葉をかみしめて行こうと思った。

Tさんの死は本当に悲しいことだ。「つひに行く道」がこんなにも早くにやってくるなんて、彼女自身信じられなかっただろう。

彼女の笑顔を思い出してみた。

「ついに行く道」がやってきて、これまでの人生がフラッシュバックされた瞬間、「あのときあの時間、わたしはなんて幸せだったんだろう」と感じていただろう、感じていたに違いない・・・

勝手な想像をしてしまった。
彼女との交流は本当に短かったが、とても深いものがわたしの中に残った。

 

突然の知らせ

友人のTさんが亡くなられたと知らせが入った。

赴任先のウィーンで事故に遭ったとのこと。共通の友人であるKさんから今日連絡があった。

ウィーンに発ってまだ半年にもならないのに。残酷すぎる。

FB経由でときどきメッセージのやり取りをしていた。

最後のメッセージは・・・「週末にパリに行きます」だっただろうか。その後ひと月ほど連絡がなく、「忙しいのかもしれないなぁ」「そのうちまた連絡あるかな」と、こちらからメッセージを送りそびれているうちに。

FBプロフィールの彼女は輝くばかりの美しい笑顔だ。

知らない土地にひとりで赴任し、ひとに言えない苦しみもたくさんあっただろう。

3年経ったらまた会えると信じていただけにショック。

人生なにが起きるかわからない。ふだんは観念でしかとらえていないこと。身近でこうしたコトが起きると。いや起きないと痛感できない哀しさ。

「いつでも連絡できる」「いつでも会える」

こんな理由をついついつけてしまいがちな日常である。
悔いが残らないように、あのひとこのひとの顔が声が姿が浮かんだら、迷わずメッセージを送ろうと思ふ。

そして・・・Tさん、どうぞ安らかに。あなたの笑顔を忘れません。

映像の世紀

今年も残すところひと月半ほどになった。

年末が近づくとなぜか、『映像の世紀』を見たくなる。ようつべで検索していくつか見る。戦争の足音が徐々に近づきつつあるヨーロッパ、それもカラー映像で出てきたりする。美しいが怖い。

夕食におでんを食べて早々に就寝。

戦争で亡くなった人たちの遺骨がいっぱい出てくる夢を見てしまった。

もうすぐ平成が終わり、元号が変わる。

次の時代も戦争がない時代でありますように・・・・

9月の心配

月が変わって、大型台風に大地震が起きた。

月が変わって、自分の身にも大きな変化が起きた。

台風が起きた地域に住むひとたち、

地震発生の地域に住むひとたち、

知り合いも多いので安否確認をする

でもいいんだろうか

迷惑じゃないだろうかと気になってしまう

停電が続いてます

ライフライン復旧まで時間かかりそうです

大変な中、連絡をくれるひとたち

もう祈りを運ぶしかないんだけれど・・・

自分の身に起きたことなど、大したことがないと思うんだけれど

2018年9月初旬は

いろいろ考えさせられる時期であった・・・

生きる意味って?

日常生活で考えることってありますか?

たとえば・・・子どものいない自分は生きる意味がないとか。
なんのために生きてるかわからないから、あんまり長生きしたくないとか。

中には掲示板で質問するかたもいらっしゃる。

四六時中、「ああ自分は生きてる意味があるっ」一年365日、生きがいを感じっぱなし。
いるのかな、そんなひとって。ひとからはそう見える人は世の中にいるみたいだけど、
その人の内面はわからんと思ふよ。

「自分の生きる意味」とか「生きがい」なんて、バチっと決めなきゃいけないの?

そんなのって一生かけて積み上げていくもんじゃないかな。

今すぐ、明日から、明後日から、「これがわたしの生きがいよ!」
決めちゃったらしんどそう。わたしならもっと長いスパンで捉えるなぁ。

なんで焦るんだろう。自分で自分を追い込んでない?
周りに言われたの? 自分の人生だし、周りに染められないほうがいい気がするけど。

「ガチっとしたものがないと、ふわふわしてて不安」
「周りを見ると生きがいを感じてそうなひとたちばかりだし」

周りの人が乗ってる乗り物が素敵に見えるから、
自分も乗りたい。

あんまりないんだ、そういう気持ちになったこと。
乗ってみたら、居心地悪いってこともありそうだし。

自分の乗り物は一生かかって見つけるつもり。
人生の最後に乗れたらいいね♪

ひとによると思ふけど、「生きる意味」「生きがい」を結果と捉えるか、プロセスと捉えるかだろうね。

合格祈願

今日は出勤日ではないのに早起きした家人。
予定をこなしに出かけてしまった。
「何時に帰れるかわからん」

リビングに転がっていた雑誌をなんとなくめくってみる。
家人が年間購読しているモノ。

新連載の「時流仏流」が目に留まった。
仏流はフランス流ではもちろんなく、「仏教の」の「仏」である。

コンビニの数とお寺の数は、どちらが多いでしょうか?

そんなのお寺に決まってるでしょ。
コンビニなしの生活など考えられない都会人なら、「コンビニ」と答えるだろうけど。

実際、コンビニ55000店に対し、お寺77000カ寺だそうな。

先日、都内のオアシス等々力渓谷へ出かけた折、
「お不動様があるそうなんでが、どこでしょうか?」と訊く人があった。

等々力渓谷にそうした場所があるとは知らず、森林浴だけを目的にやってきたわたしたち。
ルートマップに沿って歩いていくと・・・・

こんなところに!とびっくりする。
よくある風景だが、合格祈願の絵馬なども目にする。

合格祈願・・・縁のないモノのひとつである。

「時流仏流」によると、400人ほどの学生を対象にこんなアンケートを取ったところ・・・

大学受験に際、神社や寺院で合格祈願などの願掛けをしたか

願掛けをしたが73%だったとか。
かなり信心深いと言うべき?

本人だけでなく、親とかおじいちゃんおばあちゃんとかも合格祈願をするのだろうなぁ。

自分の時は願掛けなんでしたかどうか覚えていない。
周りを見渡しても・・・来年受験というのがひとりいるものの。

やはり縁のないモノには興味関心があまり湧かない。

「親じゃないひとは冷たいよね」

そうとってもらって構わないけれど。
ただ合格祈願というのはね、本人が合格する代わりにだれかが落ちますようにと願掛けする意味もあるわけで・・・

合格祈願のお守りなんて存在しない仏(ふらんす)流に沿うことにしているだけである。