晴れの日が懐かしい

関西の友人からは、「たまらないほど暑いよ」と、こちらのお天気を羨ましがられております。今日も扇風機でOKなお天気。

曇りがちでなかなかお洗濯物がカラッと乾かないのですが、今朝は洗濯機を回します。

この前までは「秋よコイコイ、早く来い!」なんて呟いていたのに。「晴れないかなぁ」と勝手なことを願っているわたしです。

いつか見た青空は・・・コレは信州の晴れ空。

じゃない側の女 

たまたま見かけたWEB小説。つづきが気になったのに、アレコレ他の事に目が行ってしまった。

じゃない側の女~Side2産んでない側の女 Vol.13】

「理沙、私たち夫婦は子供を持たない選択をしたんじゃないのよ」  「どういうこと?」

「子供を持てないという事実にとらわれずに生きる選択をしたの。子供を持てないことを嘆き悲しんで、子供のいる人や家族をうらやましく思いながら生きるより、与えられた現実の中で私たち二人の人生を味わう選択をしようって決めたの」と。

ないものねだりはしないということ。でもここまでたどり着くにはなが~い道のりを歩かないといけない。決してひょいひょいと、ラクラクとこの境地、というと大げさかもしれないが、この境地に至るわけじゃない。

傍から見れば、「ああ、なんてお可哀相」。あるいは、「なんて親不孝」、うんぬんかんぬん。気にしないことだ。気になっても、気にしない顔をすること。「ふり」から入って、だんだん「ホンモノ」になっていけばよいのだ。

与えられた現実(子どもがいないということ)の中で、ふたりの人生を味わう。

それは間違っている、罪悪感を感じないのかと非難を受けることも、ないわけではない。でもふたりの人生、ひとからどう思われたっていい。自己中、勝手、ワガママ。大いに結構。どんどん言っちゃってクダサイ。

ふたりの人生を楽しむようになると、「子供のいる人や家族をうらやましく思う」というより、「幸せそうでいいなぁ。こっちの心も温かくなるなぁ」と思うようになる気がする。

それまで近寄れなかった子どものいるひとたちに向き合えるようになる。そんな気もする。

雷雨の幕開け

16時の試合開始にあわせて、13時出発。天気予報では夕方から大雨ということだったが、30度超えのムシムシしたお天気。ホントに雨が降るの?

試合開始が近づいてくると、怪しい雲行きに。

前半終了直後から雨脚が強くなり、バックスタンドの観客は階下へ避難。赤いヤッケ姿のふたりは家人とその友人。稲光と雷にもめげず座っている。アブナイ中高年。

中断すること約1時間。ようやく小雨になる。ラグビーはよほどのことがないかぎり、再試合はない。大雪が降っても近所の高校生が雪かきしてくれるのだ。(感謝感謝)

後半開始!

「トップリーグの逆襲」映像がくり返し流れる。シーズン終了まで使いまわすのだろうな。

第2試合は予定より1時間遅れてのスタートだ。

帰宅したら10時半だった。第2試合のサポーターのみなさん、帰宅したら日付が変ってた方もいただろうな。お疲れ様!

少女ファニーと運命の旅

曇り空の金曜日。午前10時過ぎからの上映を観るため、8時半のバスに乗った。

TOHOシネマズシャンテは初めて行く映画館なので、目印のゴジラ像を探す。

有名人の手形が埋め込まれている合歓の広場。上ばかり見ていたわたし、だれかの手形を踏んだかも。ゴメンナサイ。

平日の午前なのにわりと席が埋まっていた。ローラ・ドワイヨン監督作品、『少女ファニーと運命の旅』。邦題が長いので、チケットを買うときは、「ファニーの・・・1枚です」となる。

大人も出てくるが、子どもたちがほぼ出ずっぱり。実話を基にしたストーリーなので、結末はわかっているのだけれど、ラストシーンまで気が抜けない。

スイスを目指す9人の子どもたち。リーダー役のファニーは母とほぼ同世代だ。

スイスとフランスの国境・・・20数年前、スイスからシャモニー入りする際、Le Chatelard Frontiere という駅で乗り換えた。国境駅だからとパスポートを提示。でもほとんど見てくれず。あっさり入国できた。

ファニーたちは命をかけて国境を越えていく。こんな小さな子どもたちが、ユダヤ人というだけで、戦争と言う怪物から追われるなんて。美しい自然の中で鬼ごっこやかくれんぼ、水遊び、ごっご遊びを楽しむ年なのにと、涙が出た。

生き延びたファニー。メイキング映像を見つけたので貼っておく。

帰宅してもまだ映画の余韻が残っているが、近日公開のこの映画もキニナル。

国語の試験

試験の夢ってたまに見ます。

たいてい数学の試験を受けている。どうしても解けない。このままだと留年だ~、不合格だ~って。

昨日の夢では国語の試験が出てきました。

いまどき珍しいわら半紙の試験用紙。一問目、国語なのになぜか曲名を答える問題? 二問目、テキストを熟読していないとわからないような文学史の問題。そして三問目は・・・

阿川佐和子さんのエッセイの一部が出てくる!

設問1 この部分を読んで、彼女らしい文になるように、短くまとめよ。
設問2 タイトルをつけよ。
設問3 なんだったか、忘れました・・・

「時間制限3時間くらいあったら、おもしろくまとめる自信あるんだけどなぁ」などと思いながら、解答をひねり出そうとするわたし。

なぜ阿川さんのエッセイが出てくるのか? 確かに毎週土曜日の「サワコの朝」を楽しみしているし、彼女のエッセイも持っているけど。

おかしな夢を見たものです。

戦争を知らないわたし

戦争が終わって15年後、わたしは生まれた。
戦争を知らないまま、この国で育った。

でも親たち、親の親たちは、戦争中あるいは戦争前後に生まれた。
戦争を経験し、この国で生き、死んでいった。

子どもの頃、親から戦争のはなしをよく聞いたものだ。

戦争のはなし
続・戦争のはなし
おかあさんの木

最初のブログにのせた、戦争に関する記事を貼っておこう。

母の実家は大阪南の田舎。B29が素通りしていくところにあったので、疎開先のひとつだったらしい。そういえば、矢絣柄の紫のキモノ、「これはねぇ、お米と交換したのよ」って聞いたことがあった。

祖父は指が少し欠けていた(畑仕事で切ったのかもしれない)ため、徴兵はされなかったが、その分相当こき使われたとか。穏やかで無口な祖父から詳しい話を聞いたことは一度も無かったけれど。「大阪大空襲の後、後始末に行った時、身内をなくした女性がいたんだけど。どんなに言ってもその場を離れなかったんだって」 母がぼそっと話してくれたことも。

父は戦時中、韓国のテーグにいた。もちろん敗戦後は家も財産もすべてなくし、命からがら小さな小さな漁船で引きあげてきたという。父がもう少し長生きしていたら・・・詳しい話が聞けただろう。伯母は韓流ドラマがブームになった時、戦争がテーマでもないのに、「引き揚げを思い出すから」と決して見ることはなかったとか。戦争の爪あとは深いのだ。

この国は戦争することはなかったが、わたしが小学生の頃はベトナム戦争がつづいていた。

この写真を見たときの衝撃は忘れられない。

地球のどこかで、戦いがまだつづいている。戦いのない日ってあったのだろうか。

子どもがいたらきっと、親から聞いた戦争のはなしをしていただろう。語り継ぐべき子ども、わたしにはいないけれど。こうして拙い記事を書き、発信していくことしかできないけれど。

なにかしらアクションを起こしていきたくて、お盆休み明けに書いてみた。

型にはまるか、抜け出すか

「こうしなければいけない」という型って、一旦はまると、なかなか抜けることができない。

周りはみんな型にはまるのが当然と思っている。

「とにかくこうしていれば、間違いないんだ」 「型から抜けるなんてとんでもない」

世の中にはたくさんの「型」がある。冠婚葬祭なんて、「型」だらけだ。

これからの人生、「冠婚」ってどうなんだろう。ぐるりと身内親戚を見渡してみる。結婚する人が少なくなっているんだなぁとわかる。結婚するのが幸せへの道だと言いたい訳じゃないが。

これからの人生、「葬」ってやっぱり多くなってくるんだろうな。親世代は「型」にこだわるからけっこう大変だ。

こんなふうに「型」からスルッと抜けるひともいるそうな。
http://diamond.jp/articles/-/109622

親世代が望む可能性は少ないけれど。次世代はどうだろうね。