連絡ついた

たぶん先月の突然の電話以来、遠慮して連絡していなかったと思う。

大丈夫、きっと無事。でも声を聴くまでは不安。

午後になってようやく本人から連絡が入った。家族全員無事!

よかったよかったとホッとする母であった・・・

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関西で地震発生

ふだんつけないTVで状況確認しつつ、関西在住の友人たちの安否確認中です。

関西の皆さん、余震にどうぞ気を付けてくださいね。

隙間時間に読んで聴こう

届いたのは週末。
読み始めたのは数日前。

最初~第6章までパラパラとめくり、7章から少しずつ拾い読みする。
コレいいな!と感じたところにはアウトラインを引く。
訳本をつくるわけじゃないし、だいたいの意味がわかればいいのだ。

彼女のスピーチがYoutubeでも見られるので参考にしよう。(日本語字幕じゃないけどね)

すごいね。こういうビデオを日本人がつくってのせたらどうなるだろう。

白と黒の間で

わたしの心は一色ではない。

真っ白ではないけれど、真っ黒でもなく、その真ん中辺りをウロウロ。

「今のわたしは真っ黒に近いな」と気づいたり、「あっ今の瞬間、ちょっと白のほうに近づけたかも?」

そんなことを毎日繰り返している。

「今の自分は何色かな?」
少し離れたところから見つめる。
そんな時間を意識して持とうと思ふ。

何気ない日常の中で・・・

遠慮深い人々

関東に移ってきて早20年。

住めば都かなと感じるようになった。
最初の数年は「早く関西に帰りたい」「ここはわたしの居場所じゃない」と言っていたものだが。

言葉にもすっかり慣れた。
ただ、いまだに慣れないこともある。

席を譲っても、「いえ、次で下りますから」と言うひとのなんと多いこと!

関西人のオバチャンはびっくりだ。

遠慮深いのだ、こちらのひとたちって。

無理強いはどうかと思うので、何度も勧めないけど。

そうこうしているうちに、最近は自分自身が譲られる年に近づきつつある。
まぁアラカンだし、そうそう譲られることもないが。たまにあったりする。

「あら、そんなに疲れている風に見えたのかしら」

オバチャンは素直に座る。
「わたしはそんな年じゃないよ」と憤慨したりしないのだ。

さて遠慮深い皆様、初詣に行ったときなども遠慮される?

「わたしは頂けるような立派なにんげんじゃないございません」
「ご利益なんてとんでもありません」

さすがにそれはないだろうと思ふけど・・・

気まぐれな雨

昨日は夕方から出かけた。

最寄り駅に着くと急に雲行きが怪しくなり、本降りになってきた。

小さな傘を買ったが、目的地に着くころには雨も止んできた。

要らなかったな~ 予備の傘にしよう。

田舎で降られると、逃げ場がない。
都会には雨宿りする場所はある。

出かける前に雲行きを見たが、なんとかなるだろうと傘を持たずに出た。

梅雨時の雨は気まぐれ。
一日降るかと思えば、数時間でやむ。

人生100年というけれど

「平均寿命87才とかいうけれど、わたしは70代くらいまででいいわ」

仲良しの友人がつぶやく。

つぶやいているだけなので、理由は聞かず受け流す。

親は今年87才だ。断捨離バッチリ、遺言も用意しているし、自分をどんなふうに送ってほしいかエンディングノートにもきちんと書いている。でもまだ元気だし、ときどき弱音も吐くが、生きるエネルギーは消えていない。

もうひとりの親、父は44才で亡くなった。今の平均寿命の約半分で旅立った。

事故で亡くなっているが、亡くなる1年ほど前からおかしなことを言うようになった。

「やりたいことをやったから、いつ死んでも悔いはない」
「自分がなくなったら新聞に載るよ」

冗談を言っているんだと思った。

亡くなったとき、亡くなってからも、「お父さんは悔いのない人生だったんだ」と信じていた。

でも今は・・・本心ではなかったのはと思うようになった。

こんな記事が目に入る。

明朗で友人も多く、子煩悩だった父。

その内面はどうだったのだろう。家族にも友人にも見せない心のうちは?

人生100年と言うひともいるが、友人や親を見つめつつ、自分はどう生きていこうかと、珍しく真面目な心境になったりしている。

チャレンジ

今日、またひとつチャレンジすることを決めた。

我ながらよくやると思ふ。

実は明日もひとつチャレンジする予定だ。

ひょっとすると少し無謀かもしれない。でも決めたことだから、とにかく話を聴きに行く。

傍から見れば大したチャレンジじゃないかもしれない。

傍から見ればちょっと・・・やめたほうがいいんじゃない、かもしれない。

いい年して・・・この言葉は好きじゃないが、そう言われるかもしれない。

「やって後悔するほうが、やらずに後悔するよりいい」

まだアラカンだが、10年先に後悔したくないのでチャレンジしよう。

数を数える

FBフレンドの数、Twitterのフォロワーの数、なんとなく目に入るけれど、「多い少ない」って気になったことがない。

今現在、あのひととあのひと、このひととこのひと、メールくれたりメッセージくれたり。嬉しいけれど、あのひとにメールやメッセージ送っても音沙汰なかったり。でもあんまり気にならないなぁ。体調悪いかもしれないとか思うけど。(そうでないように祈る)

30代の頃、つきあうひとの数はゼロに近かった。ひとに会うのが嫌だった。

でもそのことで寂しさを感じることはなかった。

数を数えなかったのだ。

自分の周りにいるひとたちの数なんてどうでもよかった。

今はFBやTwitterが自動的にカウントしてくれる。

いつのまにか増えていたり、ある日突然減っていたりもするが。一喜一憂したりしないのだ。

星の王子様のように数に興味がなくなってきたのかなぁ。

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