世間からレッテルを貼られることがある。
「かわいそう」とか「あのひと負け組」(やや古くなってきたかな?)とか、 あれこれ言われて、からだじゅうにたくさんのレッテル貼られても、それらをカンタンに剥がし、平然としていられる自信が今のわたしにはあるのだが・・・(こういうことを言うと嫌われるよね、きっと)
「子供がいない」という共通点のあるひとたちにも、こんなレッテルを貼られることがある。
「あなたも同じようにレッテル貼られているんだよね」
「苦しくてホント、つらいよね」
「腹が立つよね」
「でもどうしようもないんだよね」
「どうしたらいいんだろうね」
「いえ、わたしこんなレッテル気にならないんですよ~」
「バリバリバリ(レッテル剥がす音)ほ~ら、すぐ剥がせるし♪」
明るくその場で剥がすのに 戸惑いやためらいを感じてしまうわたしである。
見ればそのひとたち、レッテルをからだじゅうに貼りつけている。ひとに貼られたモノもあるが、よ~く見ると「それって自分で貼ったのでは?」というモノもたくさん。
からだじゅうにレッテル、 呼吸できないほど貼りつけたひとを見かけると剥がしてあげたいなと思う。
剥がしたらどうでしょ、剥がれますよと声をかけてあげようかとも思う。
でも・・・きっと大きなお世話だよね。
世間からレッテルを貼られても、自分で剥がせるようになったけれど。共通点があるひとたちからレッテルを貼られると、どう反応すればいいのだろうと、たまに戸惑うことがある。
世間からレッテルを貼られ続けると、
無意識に自分でもレッテルを貼ってしまってる気がします。
違う状況、境遇の方と意識的に交流を持つように私は視野を広げるため、好奇心で近づきますが、
そこでやはり、私が自分で自分にレッテルを貼り、がんじがらめに、自分でしてたことに、ふと、気づきま
不妊治療はしてたとしても、
子供が授かりいるのなら、
不妊ではないのではないか?
には、目から鱗でした。
いつまでも、自分で不妊、不妊治療にこだわりすぎ、レッテルを貼る自分に気づかされました。
ありがとうございます。
今は、月曜夕方の一本の電話キッカケに、
状況が動きつつあります。
わたしも、アップグレードしなければいけない時期に差し掛かりました。
待った無し、です。
息子との時間も、ベッタリ入れるのは、数えるばかりになりそうです。
7ヶ月から、こんなに小さいのに、
長く預けてかわいそう、
預け先予定園長から面接で言われましたが気にしないようにします。
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爽香さん
>不妊治療はしてたとしても、
>子供が授かりいるのなら、
>不妊ではないのではないか?
40代の頃、読んだ本があります。”Sweet Grapes” というタイトル。著者は治療経験あり、子どものいない人生を歩んでいるご夫婦でした。
目から鱗だったのは、この言葉です。
不妊治療をストップさせた時点で、あなたはもう不妊ではない。
治療をしていないのだから。
世間はいろいろ言います。あのひとは子供がいないから、きっと不妊だろう。不妊にちがいない。
あるいは子供が嫌いなんだろう、自分勝手で子供を生まないんだろうとか。
どんな言葉を浴びせられようと、「わたしはわたし」「自分の生きかたを大切にしよう」と思ってさえいれば、気にならないものではないかな~と。そんなふうに思っています。
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違う状況、境遇の方と意識的に交流を持つように私は視野を広げるため、好奇心で近づきますが、
そこでやはり、私が自分で自分にレッテルを貼り、がんじがらめに、自分でしてたことに、ふと、気づきま
す、
が、抜けました。
ふと、気づきます。
でした。
失礼いたしました。
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〉目から鱗だったのは、この言葉です。
不妊治療をストップさせた時点で、あなたはもう不妊ではない。
治療をしていないのだから。
そうですね。確かに。
なんか、肩の荷が少しおりました。
ありがとうございます。
いつも、新たな気づきを、ありがとうございます!
レッテルを自分で貼って苦しくないか、やはり、見直し時に自分に必要ですね。
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まぁ、あんまりレッテル貼っているかどうか、って確認したりしないものかも。
でもときどき自分を見直すというか、見返るというのもいいですね。
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やはり、他者と交流することにより、
気づきはあるかと、思います。
個人的に、人間ウォッチングが好きで、
いろんな方の人生聞くの、好きですね。
色々ありがとうございます!
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