もう20年なのですね

ほぼ同い年だったプリンセスの死は衝撃的でした。

この方もプリンセスにならなかったら、違う人生を歩んでいたことでしょう。

衛星中継されたセレモニーで彼が歌ったこの曲、心に残っています。

オリジナルはマリリン・モンローに捧げられたものというのは、初めて知りました。奇しくも同じ36才でなくなっています。その死因もいまだに謎ということも似ていますね。

魔法の言葉

FBの世界を気軽にお散歩していると、こういう記事に出会ったりします。

楽勝で言える言葉、ひとつあります。

「ありがとう!」

後のふたつがね~ でもこれからはラクラク言えるようになりたいですね。

「ありがとう」に「ごめんなさい」、あっちにむしろ言ってもらいたいわって。幸せを逃しているのかもしれません。

「助けて」、別の言葉に置き換えても大丈夫かしらね。「ちょっと辛い」「悲しい」「手伝ってもらえる?」

これらの魔法の言葉がどうしても言えない自分。その時は必ず、相手を責めているような気がします。

「こんなに辛いのは相手が悪いんだ」「わたしのせいじゃない」「ここで言ったら損だ」

これらの魔法の言葉を口にするのを躊躇うのは、自分で自分を縛っているようなもの。チョキンと切れるハサミをぜひ持ちましょう。わたしもイメージしてみますね。

9月になれば

今日で8月もオワリ。

9月になると・・・義母の3回忌に秋のお彼岸があります。お彼岸の方はともかく、3回忌は? 家人、行こうという気すらない様子。(親への想いはじゅうぶん持っているんでしょうけどね)

1周忌と同じくパスですか?

それほど遠くない将来、起きてくるだろうお墓問題。(家の管理問題もあるよ) 

ああ、そうだった。家の管理にもれなくついてくるのが、仏壇問題。わたしの実家にも家人の実家にもあるんですよね、立派なのが。

マンションの部屋にとても置けるスペースはないと思われます。田舎の一軒家だからデ~ンと置けるんですよね。さぁ将来あの仏壇どうしましょう。

http://www.osohshiki.jp/column/article/69/

わたしの親とは相談できましょうが、あちらのほうとは・・・「どう考えてるんだっ!」と雷落ちそう。

お墓も仏壇も一緒にanother worldへ持っていけたら、気が済むかもしれませんが。

それってなんていうか、「執着」なんでしょうね。

プレッシャー

平成も30年近くまで来たと言うのに、まだまだこんなことを言う人がいるんですね。

生めない生まない、躊躇、逃げてどこがいけないの?って思います。

ひとの人生、責めるって・・・ひょっとして、自分の人生にいろいろあるんじゃないでしょうか?

いえいえ、回答は結構です。回答が出ないからと言って、その分のストレスをこっちに向けないで欲しいかなって。

もちろんすべてのペアレントに当てはまるとは思っていませんよ。わたしの知る限りのペアレントは、自身のストレスをこちらにぶつけたりません。

中には・・・もちろんごくわずかです。

ノンペアレントのブログ

まだブログが珍しかった40代前半の頃は、「子どもがいない」をキーワードに、掲示板とかメーリングリスト、ホームページを探すしかなかった。

少し経つとブログとかSNSが普及し出し、いくつかのツールを通して同じ境遇の仲間に出会う機会も。ネットがあって本当によかったと思った。

今は、ブログ村で検索すると、たくさんの「子どものいないひと」のブログを読むことができる。できるのだが、コメントを入れるのをかなり躊躇することがある。

40代前半の頃の心境と、今の自分の心境がかなり違うから。(アラカン、お孫ちゃんや子どものいる人とけっこう交流するようになっている)

ロムに徹しよう。そんなふうに感じている。「子どもいない」けど、ライン・フェンス・壁をつくらないと、傷つけてしまうかもって。(実際、気を悪くしたひともいるんじゃないかな?)

でも、ときどき検索してノンペアレントのブログサイトを探してみたりもする。

時にはゼンゼンそういうキーワードで検索したわけじゃないのに、引っかかったりも。

無数のサイトの中から、ある日突然出会ってしまう。これはもう、縁としか言いようがないと思う。

子どもがいない、という表現。こなしとか、子なしとか、小梨とか。お友達のSamiさんは「リンクス」というとてもきれいな響きの表現をされている。

わたしは・・・childfree (子どもがいないことから解き放たれている)という表現が好きで、そこから「し~えふ」なんて言葉を考えたこともあったけど。(リンクスのほうが断然素敵だと思っている)

自分のブログでは、ノンペアレント(親でない)を時々使っている。(ノンママという言葉もあるらしいけど)

未婚既婚・性別問わず使えるんじゃないかなって。海外ではnon-parentのサイトもアリ。

https://www.nonparents.com/

また、どのキーワードがヒットして見つけたのか覚えてないけれど、こんなブログサイトにもアル!

http://www.hagipu.com/

http://rijichonotsuma.blog.fc2.com/

わたしには描けないイラストで表現されておられるのが羨ましい!

精神年齢

子どもいないと、「大人になりきれない」とか「一人前じゃない」とか、「子どもっぽい」なんて言われたり、思われたり、そういう場合もあるようです。

生んで親になってないから、うんたらかんたらです。

まぁ親になってないから、親の大変さがわからない。それはホントです。

親になってないから、「わかるわけないじゃん?」「わかるなんて言えないでしょ」

「わたしは子どもいないけど、あなたとは別の角度から、こういう素晴らしい意見が言えるのよっ」なんて、もちろん言いませんし。そんな素晴らしい意見を持ってません。

子どもいないイコール、精神年齢が低い、子どもっぽい。

子どもいないイコール、若く見える、いつまでも若々しい。

カウントしたわけじゃないですが、どちらのセリフも言われた経験アリ。今はもうアラカンなので、「若々しい」なんて、身近なひとからも言われないですけどね。(アンチエイジング、美魔女に縁のない世界に生きております)

精神年齢ですが、ちょっと探すと、「精神年齢テスト」なるものが存在するようです。いや~なんでもアリの世の中ですね。

試しにやってみたところ、「結婚した年に生んでたら、これくらいの年の子どもがいたのね」という結果となりました。

「子どもいないと子どもっぽい」

別に言い返すつもりもヒマもありませんが。

どうでしょう、この際、統計とやらを採るって言うのは? 「子どもがいないひとグループ」と同数の「子どもがいるグループ」でテストを受けるんです。

どんな結果が出るでしょうね。

えっ? そんなヒマも時間もない? ホントに子どもいないひとってヒマだよね。言われてしまいそうです。

でも精神年齢と実年齢のバランス、気になりますね。あんまりギャップがあるのも・・・

80代のひとの精神年齢が30代だったら素敵。

10代のひとの精神年齢が40代だったら・・・棋士の藤井君とか? 若いけど老成してる?

40代のひとの精神年齢が60代だったら・・・老け込みすぎか。いやいや、老後に備えて準備オッケイかも?

ビタ一文

ずいぶん前になりますが、こんなことを聞きました。

ひとり息子さんと結婚したひとがいます。結婚20年ほどで、子どもはいません。

ひとり息子さんがすべてそうだとは言いませんが、わりとジコチューな方だそうで。自分の好きなものに惜しげなくお金を使う。ちょっと気に入らないことを言われるとキレる。子どものように駄々っ子。

数えるほどしか行かないけれど、実家にご機嫌伺いに行っても、必ず大喧嘩になる。親子関係はかなり悪そう。

ご両親は高齢、どちらも持病を抱えているけれど、介護が必要とまではいかない。ご両親と夫の間で、そのひとは「なるべく余計なコトを言わない」ようにしてきたんだそうです。

「年がいって気弱になったのか、家を売ってホームに入るか、それとも同居してもらうかとか言ってきたんだけど・・・」

「同居なんてできるわけない。あんなところに4人も住めるか!」

「ただあそこの土地はけっこう高値なんだ」

「家と土地を売るなんて冗談じゃないよ」

「ひとり息子の自分が当然もらえるものじゃないか」

ある日、こんなことを言う夫に、「このひと、なに言ってるの?」と言いたい気持ちをぐっと抑えたそのひと。

同居と介護はイヤだけど、お金は欲しいわけですね。夫さんの頭のあたりには、きっと○○○○千万のお札がキラキラと舞っていたのでしょう。

ビタ一文残さない。海外旅行の際、帰国前に残りの小銭すべて使い切るようにすべきですよね。(ちょっと変な例えか?)

賢くもそのひと、なんにも言わなかったそうです。「しばらく放っておこう」

その後、どういうことになったかは不明ですが・・・

なんて話を思い出したら、こんな記事に遭遇。貼っておきましょう。

コンロ取り付け

10年使用した我が家のコンロ、とうとう買い替えである。

今日、取り付けに来てもらった。

10年前にはなかった機能がいっぱいついていて、慣れるまで時間がかかりそう。

取り付けにかかった時間は約1時間。11時過ぎに外出、帰宅すると郵便受けにメモが入っていた。

「コンロは使用できますが、オーブンの部品を付け忘れましたので、オーブンは使用しないでください」

えええ~っ?!!!

我が家のコンロ&オーブンレンジはビルトインになっている。今回替えたのはコンロのみなのだが。

よくもまぁ、郵便受けを覗いてみたものだ。後でいいわよね~とパスしていたら・・・

電話が鳴った。付け忘れた部品は後で持って来るそうだ。

取り付け工事中、手持ち無沙汰だったんで、ニュースをつけていた。Jアラート関連のニュース流しっぱなし状態だったせいか? いやいや~ そうじゃないだろ。

昨日より気温が上がったせいですか、○○ガスさん? しっかりして下さいよ。

注: これはフィクションでなく、事実を綴っております。

Jアラート!

いったい彼の国のあの人物は何を考えているのだろう。

太平洋に落ちないで、もっと手前に・・・なんてコトが起きたら。考えたくないが可能性ゼロと言い切れないのが怖ろしい。

通過区域の人たちの言葉を聞く。

避難って言ったって、どこに隠れたらいいのだ。

この映画を思い出した。

どんなホラー怪談よりも怖ろしい内容だった。「でもこれってフィクションだものね」と自身を安心させようとしたが、今朝の出来事を知り、「フィクションを現実にしかねない危険人物」への恐怖を感じた。

過去の独裁者たちがあの人物を操っているのだろうか。

ある日世界が・・・そんな悲劇が起きないことを心から祈る。(珍しくマジメだ。こんなことを呟かせないで欲しい)

『女橋』 読了 

水曜に借りてきた藤本義一の『女橋』、一気に読み終える。

大石順教尼をヒロインに据えた連載小説だそうだ。藤本氏によると、「なるべくカラッとした明るいもんに書いておくれやす」と順教尼さんご自身に言われたというが。

市原悦子さん主演でドラマ化もされている。平成の世で見られないのがとても残念だ。ケーブルTVで再放送を切に願う!

ドラマではないが、YouTubeでこんな映像を見つけた。

読書中も気になっていたが・・・やはり。両腕を切り落とされたヒロインが加わる旅回り一座で、彼女の「心の糧」となる少年は、後の柳家金語楼であったのか。

様々な辛酸を舐めつつ、逞しく人生を切り開いていくヒロイン。実在の人物であったということに震えるほどの感動、そして勇気を与えられる。

「忍という字は、刃の下に心と書く」
叡雲の声が、ちよの背にあった。
「心の刃は抜いてはいかん」
「へえ・・・・」
「あんたの字は、俗人が書く字とはちがう。心の字や。心がうったえる字や。その気持ちで、般若心経を写したらええのや。あんたは生きてる。立派に生きてる。五人の死んだ人が、あんたを守ってくれてはる。その人らに・・・あんたが生きてる証拠を見せないかん」
「はい。五人やおません。六人だす。田沢久三郎というお義父さんもいたはります。

たくさんの胸を打つ場面、言葉が散りばめられている。くり返し読みたくなる小説、『女橋』である。